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三宅太鼓

三宅太鼓

三宅太鼓とは

「三宅太鼓」は、東京から南へ180kmのところにある伊豆諸島のひとつ「三宅島」に伝わっている太鼓です。
島では「三宅島神着神輿太鼓(みやけじまかみつきみこしだいこ)」と呼ばれています。
「三宅島芸能同志会」のホームページによると、『三宅太鼓は、「魅せる」と「演奏」を両立させたスタイルの太鼓で、腰を落とした独特の低い姿勢で、地面に近い位置に据えられた太鼓に、全身を使って両面から2人で打ち込むというもので、シンプルだけど奥が深く力強いリズムで、「耳で聴く」音色ではなく、「身体に響く」音色を特徴としてる。』とのことです。

三宅島芸能同志会による「三宅太鼓」
※私たちも、この力強い曲に魅了され、太鼓の台を自作し、太鼓の位置をおもいっきり低くして太鼓を叩いたものです。叩く姿勢をとるだけでもかなり体力を要する太鼓でした。

鼓童により「三宅」として世界へ

三宅島芸能同志会の代表である津村 明男(つむら あきお)氏が、この三宅太鼓のスタイルを鼓童に伝えました。
世界で活躍する和太鼓集団「鼓童」は、「三宅太鼓」を独特の太鼓としてアレンジし、「三宅」として世界の舞台で演奏し、「三宅太鼓」は、世界で広まっていきました。

三宅太鼓のルーツ

三宅島神着神輿太鼓のルーツ

三宅島歴史年表によると、「1820年(文政3年)神着村(かみつきむら)百姓藤助(ふじすけ) 同八三郎(やさぶろう) 同又八(またはち)等伊勢参宮の帰途、京都祇園祭を見て帰島後、牛頭天王祭(ごずてんのうさい)を初む(そむ)」とあります。
この毎年7月中旬に行われる牛頭天王祭にて、神輿を先導するために打たれる太鼓が、「三宅島神着神輿太鼓」のルーツです。
牛頭天王祭では、太鼓係は祭りの始まる午前11時から神輿を納める夜20時まで、休むことなく太鼓を打ち続けます。
2000年に、三宅島が噴火をする以前、津村明男もこの太鼓係を務めていました。
津村明男が叩く「三宅島神着神輿太鼓」は、島では祭りの中で御神輿の伴奏として叩かれている太鼓を、舞台演奏向けに突きつめたものです。
出典:「三宅島芸能同志会」ホームページ

つまり、「三宅太鼓」のはじまりは、1820年(文政3年)、三宅島の神着村(現在の東京都三宅村神着)百姓である藤助、八三郎、又八たちが、お伊勢参りの帰りに、京都の祇園祭を見て、島に帰ってから、村で行われているお祭り(牛頭天皇祭)で、初めて披露したとのことで、そのルーツは、京都の祇園祭にあるのではないかと考えられているようです。

令和元年度の三宅島「牛頭天王祭」

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