鋲止め太鼓の起源

日本での太鼓の起源は、「締太鼓」であり、古墳時代から使われていたと前述しましたが、一方、現在は太鼓の主流である「鋲止め太鼓」は何時頃からどのように使われてきたのでしょうか?

時を告げる太鼓として

黒沢隆朝著の『図解世界楽器大辞典』によれば、鋲止めの太鼓は、楽器としてではなく『信号具として、飛鳥時代の聖徳太子の時代から鐘とともに用いられていた。』との記載があります。
その後、天智天皇(668年即位)が時を計る機械をつくってからは、定期的に太鼓を打たせるようになり、それが『時の太鼓』として江戸時代まで続いたそうです。

現在でも、朝、昼、夕とならされている愛媛県松山市の道後温泉本館の「刻太鼓(ときだいこ)」

陣太鼓として

また、大音響で遠くまでその音が届くことで軍勢の進退の合図として打ち鳴らしたり、その音が戦士の士気を鼓舞することから、勝利を導くために打ち鳴らすなど、戦乱の場においても、太鼓は必要不可欠なものとなりました。
これらは、いわゆる『陣太鼓』として使用したというものです。
平安末期の『前九年の役』(1051年~1062年)を描いた絵巻の一場面を見ると、甲冑をつけて戦う武将のそばに、陣太鼓を担いだ二人の男の絵が画れています。
合戦の時には、太鼓を担ぎ棒に吊るして移動したため、当時のなごりとして、現在でも鋲止め太鼓の胴には、環(かん)がとりつけられています。今では環の目的は違いますが・・。


太鼓を打つのは専門職の田楽法師で、甲冑はつけていない。(『前九年合戦絵詞』より/国立歴史民俗博物館蔵)
出典:太鼓という楽器(財団法人 浅野太鼓文化研究所)

日本の大太鼓と平釣太鼓の原型は

中国には、古くから大きさが様々の鋲止め太鼓がありました。それらは、用途によって、いろいろ使い分けられていて、さまざまな名称で呼ばれていたようです。
中国には、口径が3尺を超える大きな鋲止めの太鼓があり、それが朝鮮を経由して日本に伝わり、日本の大太鼓の原型となったと考えられています。
また、のちに歌舞伎に用いられるようになる平釣太鼓についても、同型の楽器が中国や朝鮮にあり、とくに朝鮮には、釣枠の形まで、まったく日本と同じ座装用の『座鼓(チョアゴ)』という太鼓がありました。


座鼓(チョアゴ)
出典:「アジアの楽器図鑑」ホームページ

日本人は、これらの太鼓を日本独自に、より使いやすく美しくアレンジして、長胴太鼓や平太鼓を生み出してきたと考えられています。
これは、日本人が得意とするところで、ここでも大陸から伝来したものをよりすばらしいものに発展させた一例だと思います。

前のページに戻る