鬼太鼓座(おんでこざ)
1969年に、佐渡で結成された和太鼓専門プロ集団です。鬼太鼓座は、1975年のボストンマラソンでマラソンを完走後、そのまま和太鼓演奏を行い華々しくデビューしました。鬼太鼓座が結成されてのち、全国各地にプロ集団が誕生し、「コンサート形式で和太鼓を演奏する」という太鼓演奏スタイルが広まっていきました。

名称 鬼太鼓座(おんでこざ)
設立年 1969年
特徴

鬼太鼓座(おんでこざ)

鬼太鼓座は1969年、故田耕(でん たがやす)の構想のもとに集まった若者達により佐渡で結成。
その活動の根源にあるのが、「走ることと音楽とは一体であり、それは人生のドラマとエネルギーの反映だ」という「走楽論」である。富士山麓・和紙の里東秩父村・会津村と、3カ所の鬼太鼓座合宿所にて、毎朝6時からの10kmランニングに始まる合宿生活を送っている。また2006年からは「ミュージック&リズムス」と題した活動を開始。竹を利用して創作楽器を作る等、和太鼓のみにとらわれない表現の可能性を追求しながら、「音楽体験を通じて世界中の子供達をつなぐ」試みを行っている。
主要演目の紹介
鬼太鼓座は和太鼓を中心とした舞台表現の可能性を追求し続けています。 過剰なパフォーマンスを極限まで削ぎ落とした表現により、演奏者が全力で打ち込む音だけが聴衆の心に響く力を持っています。さらに大人から子供まですべての人が楽しめる舞台も鬼太鼓座の特徴です。ここでは鬼太鼓座の主要な演目について紹介します。
鬼太鼓囃子
締太鼓による鬼太鼓座の代表曲
演奏の都度、座員二人掛かりで渾身の力で締め上げた締太鼓の音は舞台と聴衆との間の空気を切り裂いて響きます。
打つ八丈
二本のばちに望郷の想いを込めて
今から約400年前の関ヶ原の合戦に敗れた宇喜多秀家は八丈島に流され、生涯この島を出ることがありませんでした。刀を二本のばちに持ちかえ、彼は望郷の想いを込めて太鼓を打ち鳴らしたと伝えられています。
「音は消えない、我が音は消えない」太鼓叩いて 人様寄せて わしも会いたい方がある
大太鼓
鬼太鼓座の存在を世界に知らしめた大太鼓
3尺8寸、重さ350kgの大太鼓を褌姿の奏者が力の限り打ち鳴らします。褌姿での演奏を勧めたのはデザイナーのピエールカルダン氏、観客に背中を向ける演奏スタイルは「背中で演技をする」といわれたフランスの名優ジャン・ギャバン氏にヒントを得て、鬼太鼓座の創始者 田耕が作り出したものです。
屋台囃子
民衆の力 若き戦士への鎮魂
南の島の人々は海の彼方に理想郷がある信じて船を造り、海を渡りました。船上の人々が太鼓を打ち鳴らして荒波にぶつかる漕ぎ手の恐怖心を和らげ、励ましたといわれています。鬼太鼓座の屋台囃子は、戦争で多くの友人を失った田耕の少年時代の心象風景を加えた創作曲で、亡くなった多くの人々への鎮魂歌です。
出典:鬼太鼓座ホームページ

動画
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